249 | (やつくしやま) 787m |
H20年4月3日 14時20分〜16時10分 岐阜県 恵那市 曇り時々晴れ |
”歴史的には 面白いが 山の楽しみは?” | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
岩村の水晶山に登る時周回コースを考え地形図を見た、
水晶山三角点から木ノ実峠に破線が有る。 その木ノ実峠から岩村城祉寄りに三角点が有り、 点名が「矢尽山」と変わった名前が付いていた。
「織田方が岩村城を攻める時、この山から矢炮を以て攻撃したが城壁に及ばず、 遂に矢炮が尽きたのでこれがもとでこの山が矢尽山と言われる様になったと言う。 ・・岩村町デジタル町史」 歴史的な言い伝えの有る山なら登ろうと思い、 「よっせー」さんは岩村側から木ノ実林道を上がり峠から登られていた。 然し現在林道は峠手前迄しか入れず、その先崩れ通り抜けが出来無い。 車の通行量が少ないが道は整備されず、 落石・倒木や車に出会うと擦れ違いに問題が有る。 地形図は旧道から木ノ実峠の南の神社に破線が入り、 神社から少し北の峠迄道が付いていると推測しそちらで登ろう。 城ヶ根山を降り19号に戻り中村の信号で363号に入り岩村へ向う、 岩村に来て裏山信号で左折257号を新木ノ実トンネルへの道に入った。 トンネルを出て直ぐ右から道が合流これが旧道、 右折し入ると田畑の先に道路迄山裾が来ている。
地形図神社マークの真南辺りで覗くと道が有り、 案内は無いが奥に鳥獣保護の看板が見えていた。 駐車する所が無いので道路際に止め14時20分歩き始める、道の奥は民家も2軒程しか無く車は殆ど通らず、道幅も広く駐車も通行の邪魔になら無いと思う。 登り始めると道は幅広く作られ如何にも参道らしい道で、直ぐ急な登りと変わった。
広々とした平らな所に上がると大きな木の鳥居が有り注連縄も新しく、 それにベンチも置かれている。 その先も急な登りが続くがゴミ一つ無く現在もしっかり守られているのが窺える、地形図で90m程登る様読める通り結構登り出が有り、大岩を見ながら進むと拝殿が見えてきた。
登り切ると広い所に拝殿と本殿が建っていて、立派な神社だが社の名前は書かれて無い。 本殿の横の石室に石像が奉られているが神社なので仏像では無いと思うし?背後に回ると立派な道が真っ直ぐ北に続き余りに立派で、昔はこの道が岩村と上矢作を結ぶ街道だったのでは無いのか?
下り気味になり溝状の所に降りると、しっかりした道は溝が右に続き林道に続いている。 真っ直ぐ狭い道が見られるが右に降りて様子を見に行くと、 峠の高い所から少し降った所に出た。
戻り神社から来て真っ直ぐに入ると、 道は一挙に薄くなったが拾える程度に続いた。 緩やかに登ると右から道が合流した、 このまま進めば尾根通しで矢尽山い行けそうだが興味が有り右に降ってみる。 林道に出ると峠の一番高所に出てテープが付き、 ここに道が有ると分る様になっていた。 「よっせー」さんはここから登られたのか?叉元の道に登り返し北に進む。 少しで叉も右から道が来ているのでここも降ってみると、 峠から少し降った所に出た。 峠の一番高い所もここも湿気て丸太は自然の倒木で無く橋代わりに置かれている様に思う、丸太を歩き林道を降ると直ぐ林道は無くなり、狭い山道が付き林道は崩れて塞がった感じがする。
そのまま降ると広場となっている林道終点に下りた、振り返ると小さな遊歩道の案内が見られ、それにタイヤ痕が有り車で入られる様だが長い林道走行となる、痕跡は古く現在道は大丈夫なのか? 元に戻り尾根を進むと左奥に完全に潰れた廃屋が見られ、登りになると道が分かり難くなり、コブに上がると左へ道が付き標高点785Pに来た様だ。
その先降って叉登り返す道は薄いが拾え、叉降りに入ると狭い尾根となり南西が開けているが、今日は完全に霞んでいてそれに雲が有り眺望は駄目だ。
登り切ると尾根はニ方向に下って道がはっきりしない、 地形図を出して見ると右の尾根に降れば良い。
急降下すると道がはっきりし頭が青い杭が続き、檜林の整然とした狭い尾根道を降って行く、登りになっても道は明瞭に付き、15時30分殆ど平らな小広場の「矢尽山」山頂に着いた。 埋まった四等三角点「矢尽山(やつきしやま)」の有る山頂は、檜林の中で眺望は全く得られ無い。 (点の記は昭和62年と比較的新しく「やつきしやま」とルビが有りこの名前も惹かれるが、 山名は参考にした「よっせーの山彦通信」さんが「やつくしやま」とされてみえ記載)
矢炮を放ったと言う城山が見えると良いが駄目で、歴史の遺構は全く無い普通のコブ、城山方面の北に道が付き行こうかと思ったが、そこ迄する山で無いと止め戻る事にする。
岩村城関連の謂れは無いかと言うと、 「集落の人が火の神を祀り関連は無い」。 「木ノ実峠を越えているがここも岩村の領地でしたね」と話をしていると、 思い出した様に「昨年座禅石が見付かったので見に行こう」と言われる。 前に集落の方が出て道の整備等したが、 この男性は未だ見て無く丁度良いとの事で軽四トラックに乗せて頂き行く事にした。 地形図「坊主洞」に入るが地名も関連有りそう、 257号入口に新しい「座禅石」の案内が有る。 林道を走って木ノ実峠の道を左に見送り、 右に少し走った所に案内が立ち山に踏み跡が付いていた。 道幅が広くなっている林道に駐車し入って行く、 確かに笹や小枝が刈られ歩き易い山道となっている。
石が余りに白く不自然だが、見付けた後に磨いたのだと思う。 「後日調べると」 ・織田と武田の戦い時、和議を結んで木ノ実峠を越え帰ろうとした武田の武将だけでなく女・子供迄も、織田が約束を破り峠で2800人を惨殺した。 ・上矢作の円頂寺の満州和尚が木ノ実峠近くに庵を作り、座禅して霊を弔ったとの言い伝えが残っている。 ・時の岩村城主奥方で信長の叔母「お艶の方」は、逆さ貼り付けとなった。 ・木ノ実峠は現在でも雨の日にこの時の怨霊が出るとの噂が有る・・岩村町史 峠一帯は私が見た感じでも、暗く湿気て歩きたく無い嫌な場所に見えました。 一緒に見に行った方の話で、 「最近も山仕事の人が夕方子供の声を聞いたと逃げ帰って来た」、然しこれは猿の子供の泣き声だったのではと言われているとの事。 「よっせー」さんが登られていて参考になり簡単に登られたが、 道は少し分かり難い。 山は人工林で眺望も無いに等しい状況で、歴史に興味の有る方が登る山か!
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出会った花: 無し |